とんでもない衝撃

ビキニ

胸と腰だけを短く覆う女性用水着。▷bikini ミクロネシアのビキニ環礁で行われた原水爆実験のような衝撃を与えることに由来する

げ、原水爆実験のような衝撃・・・。

この由来を否定する説もあるようだが、これがあの「岩国」(第八版)に採用されていることがなんだかうれしい。

再読本との関係

雪沼とその周辺」を読んでいる。もう何度目になるだろう。僕は、大げさに言えば「自分の存在や生き方に疑問を感じたり嫌気が差したとき」、簡単に言えば「落ち込んだり疲れたとき」に、この本を開く。

わざわざ言うまでもないが、読書の楽しみは「未読本」だけにあるわけじゃない。「再読」することでしか得られないものもある。

今までとは違う感想を持ったり、新しい発見をする。再読の利点としてよく言われることだけれど、何も変わらなくたっていいんだ。そこへ行けば懐かしい風景があって、大好きな人々がいる。僕はいつものように黙ってそれを眺めている。ただそれだけでいい。

「ただいま」と「おかえり」。再読本とはそんな関係でありたい。だから何も変わっていないことがうれしい。

日がな(一日)国語辞典

岩波国語辞典 第八版を流し読みしていたら、「日がな」が目に留まった。

ひがな【日がな】

日一杯そうしたいかに見える状態で(一日中)。「祖母は仏壇の前で━念仏を唱えている」「━働きもせずのらりくらりと」▷「日」+願望を表す助詞「がな」から出た語。 ━いちにち【━一日】一日中。終日。朝から晩まで「━茶の間に寝そべっている」

試しに他の辞書(明鏡国語辞典 第三版角川必携国語辞典 13版現代国語例解辞典 第5版)を引いてみると、どれも見出し語は【日がな一日】で立項されており、語釈も「朝から晩まで(ずっと)。一日中。」といったもので大差なかった。

そこで、独特の語釈で知られる新明解国語辞典 第七版を引いてみると、見出し語は【日がな一日】、語釈は「朝から晩まで、一日じゅう、飽きもせず同じ事を続ける様子」だった。

こうして比べてみると「朝から晩まで。一日中。」を「どんな状態」で過ごしているかに言及しているのは岩波と新明解なのだが、後者の「飽きもせず」は肯定的にも否定的にもとれ、それによって印象が違ってくる。そんなわけで僕は「日一杯そうしたいかに見える状態」(願望)であると明言している岩波の語釈の方が好きだ。

もちろんこれは個人的な好みの問題であって辞書の優劣ではない。そもそも特定の辞書の語釈がいつでも一番とは限らない。僕にとって確かなのは、複数の辞書を読み、比べることが、単純に楽しいということなのだ。

*記事執筆時の新明解国語辞典の最新版は第八版、角川必携国語辞典は不明

だけ→のみ→の実

近年、「本は紙(アナログ)か電子(デジタル)か」という話題を見聞きすることが増えたが、僕には大事な基準がもう一つあって、「文字だけ」の紙の本が好きなのだ。

文字のみで表現された世界は、もちろん書き手の技量も大事だけれど、読み手の読解力や想像力なしには成り立たない。つまりその組み合わせによってできる「実」が違うわけだ。そしてそのことこそが「文字表現」の醍醐味なのでは?なんて思ったりするのだ。

そんなわけでこのブログは文字表現への挑戦として始めてみた。まずはこの記事で、ブログタイトルの意味をわかっていただけただろうか。