本は無罪

この本は「失敗」だったかもしれない。どうもしっくりこない。ページが進まない。早い話が「つまらない」。

と、こういうのはたいがい「その時の自分」と合わないだけで、タイミングはわからないけれど、いずれ合う時がくる可能性が高い。もちろん本は変わらないから、その時が来たら、本には罪がなかったことになる。

考えてみれば「自己出版本」ではないのだから、それなりの「審査」を経て本になっているわけで、「好き嫌い」はあっても「ダメ本」という評価は違う気がする。さらに言えば、僕自身がその本に何らかの興味を持って選んだ時点で「本の勝ち」なのだ。

というわけで判決。本は「無罪」。

単行本

昔話では、大きなもの、重いもの、高価なものを選ぶのは「欲深くて意地悪な悪人」と相場が決まっていて、最後に懲らしめられることになっている。

けれど最近の僕は、小さくて、軽くて、安価な「文庫本」よりも「単行本」に魅力を感じるようになってしまった。

内容はもちろんのこと、その本全体を「作品」として、しっかりと手間暇かけて作り込まれた単行本。紙の本が当たり前(それしかなかった)だった時代には意識しなかったけれど、電子書籍も選べるこの時代にわざわざ紙の本にするのなら、作り手の思いがこもった「単行本」を手にしたいと思うようになった。

そんな心持ちで改めて単行本を見ると、その装丁はやはり格別だ。本そのものがすでに作品であり、それだけで価値がある。開けばさらに世界が広がる。一冊の本に、いくつもの価値(味わい・技)がある。それをいくつ見つけ出す(感じる)ことができるかもまた楽しみの一つだ。

もちろん文庫本には文庫本の良さがあるから、それはそれでこれからもずっとお世話になるつもりだ。でもそれが内容であれ、装丁であれ、自分が何か「特別」なものを感じた本は単行本で持っておきたい。僕が「欲深くて意地悪な悪人」かどうかは、最後にわかるだろう。

JAZZ

「JAZZ」が好きだ。

音楽としても一番好きなジャンルだが、何よりもこの4文字のアルファベットの組み合わせが最高だ。これ以上カッコいいスペルがあるだろうか。

 それはもう、一つの「形」であり、完璧な「デザイン」だ。だからこれ以上文字が多くても、少なくてもダメ。順番が変わってもダメ。jazz(小文字)も違う。オンリー「JAZZ」。

そういえばよく外国人が「自分の一番好きな漢字」の理由を「カワイイ」とか「クール」だとか言うけれど、確かあれも漢字を「形」として捉えていると聞いたような気がする。あちらは「1文字」だが、感覚的には僕の「JAZZ」も同じだと思う。

枕元

部屋・本棚・机の上や引き出しの中・バッグや手帳の中身など、他人の暮らしの一部や持ち物に興味を持つ人は多く、それらを紹介した本もたくさん出ている。が、まだ見たことのない「世界」もある。

たとえば「枕元」(まくらもと)。

一番リラックスできる、無防備な場所。テリトリー。それはつまり「不可侵」のエリアでもある。そこにどんなものが置かれているのか。とても興味がある。

ちなみに僕は、スマホ・ポケットラジオ・本・国語辞典・置時計(アナログ)・マグボトル(水)・LEDランタン・メモ帳と鉛筆・眼鏡・ティッシュ・綿棒といった感じ。ベッドではなく「畳の部屋に布団」の枕元だ。

写真で見せれば一目瞭然だが、こうして文字(文章)だけで紹介するのも悪くないと思っている。置いてあるものの大きさ・形・色、配置、用途(理由)などを読み手が自由に想像するのも一興だ。事実だけがすべてではない。

試しに「枕元」のキーワードで本を検索してみたら「枕元の本棚」がヒットした。今回の話とはまったく違う内容だが、とりあえず「ほしいものリスト」に追加しておいた。ある日、僕の「枕元」に置かれているかもしれない。

暮らしの中の先入観

本や手帳のページに挟んで使う「しおり」には「紐」と「短冊」があるが、僕は断然「短冊」派だ。特に「紙」のものがいい。文庫本を買うと付いてくるあれだ。

紐は「下」からその先端を出すのに対し、短冊は「上」「下」どちらからでも出せるし、はみ出さずに挟み込むこともできるから・・・ではない。「横」から出せるからだ。しおりを横向きに挟めば、可動式のインデックスラベルのような状態になるわけだ。

これに気づいた時には感動した。「知った」のではなく、自分で「気づいた」こともちょっと誇らしかった。もちろんその時点でとっくにやっていた人がたくさんいただろうから僕の「発明」ではないけれど、僕のしおりを見て「なるほど」と感心する人は今でもいる。

とにかくしおりの「横差し」によって、本(手帳)の開きやすさが格段にアップするのは間違いない。そしてそれが紙製なら、切ったり、継いだりして長さ(幅)を自由に調節できるし、自作するのも簡単だ。傷んだら捨てても惜しくない。

もちろんこの方法が、すべての人、すべての場面で重宝するわけではない。ただ、しおりは縦に挟むもの。とは限らない。

・・・みたいなことが、暮らしの中にはまだまだある(はず)。