その使用が認められていない場合や、明らかに不向きであるときを除き、僕の筆記具は「鉛筆」だ。鉛筆のすべてが好きなのだ。一般には不便だとされる部分も含めて。
たとえば鉛筆は削らなければならない。削ればだんだん短くなってくる。そうしたら補助軸を使う。僕にとっては削る行為も、補助軸を使うことも楽しい。そしてその後、役目を終えた鉛筆は、空き箱を再利用した専用箱に入れてとっておく。ちびた鉛筆は1本でもいとおしいが、たまってくると「たからもの」を集めているような気分になる。
そういえば子供の頃は「たからばこ」を持っていた。しかし大人になるにつれて「たからもの」が変わり(それが「たからもの」ではなくなり)、いつのまにかどこかへいってしまった。
でも、だから「たからもの」なのかもしれない。それが「たからもの」なのかもしれない。本当の「たからもの」は、それが「過去」になったときに、あれは「たからものだった」と、思い出すものなのかもしれない。
と、鉛筆でメモしておこう。