新明解国語辞典(第八版)序文

昨年11月に最新版が発売されたことは知りつつも購入を保留していた「新明解国語辞典 第八版」だが、先日の一件がきっかけとなり、入手した。

早速「ラジオ」を引いてみる。なるほど、確かに用例が変わっている。個人的には前の方が好きだったので残念ではあるが、まあ旧版も持ってるんだからいいか(笑)

次に「序文」に目を通す。以下に、その終盤の一部を引用する。

全員の命に関わる事柄なのに、一部の人にしか意味の分からないカタカナ語が多用されるのは、「ハザードマップ」など、いやそれ以前からの流れがますます加速していることを意味し、敢えて刺激を与えるためという効用を仮に認めたとしても、なお考えるべきものと思うが、辞書の役割としてはそれらを分かりやすく解説するしかない。

「日本語の的確な使用のために(第八版 序)」より引用

いいですねぇ。ただ単純に新項目を採用しているのではなく、そこには「日本語の的確な使用」に対する揺るぎない「見解」「方針」がある。名(迷)語釈が注目されることが多い「新明解国語辞典」だが、こういう部分もまた、「らしさ」なのだ。

ちなみに前半部にはこんな一文もある。

『新明解国語辞典』の当初からの特徴である、ことばの本質をとらえた鋭い語釈と、それを裏付ける適切な用例を一体化して提示すること、これを本辞典の中核に据えた。辞書としての要だからである。それと同時に、一時期話題になった、あまりにも個性的な語釈は、必要に応じて修正をするという立場も受け継いだ。

「日本語の的確な使用のために(第八版 序)」より引用

ちゃんとわかってる。認めてる。「あまりにも個性的な語釈」を。(涙)

というわけで国語辞典は、特に新明解国語辞典は、序文にも目を通しておきたい。語釈もそうだが、歴代の序文を読めば、「学校では教えてくれない! 国語辞典の遊び方」のように、辞書を「擬人化」したくなるのは自然な流れなのである。